The Back Shelf

Ookami San

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profile

Basic info

基本情報
項 目
内容
名 前
大噛 サン(おおかみ さん)英語表記は「Ookami San」
正 体
妖怪。長く生きた大狼が妖怪になった存在。
性 別
雄。人間形態は男性にしかなれないが、見た目年齢自由。
年 齢
約200歳
誕生日
5月18日
一人称
「俺」
  • 口調

     ぶっきらぼう、口が悪い。「〜だろ」「〜じゃねえか?」「うるせえ」など。

    呼称

    基本は呼びすてか「~さん」付け。日辻を呼ぶときは「日辻」だが、「テメェ」呼ばわりも多い。

    名前の由来

     日辻が「おおかみさん」と呼んでいた敬称の「さん」をそのまま抜き出して名前にした。特段他の名前はない。

Appearance

見た目・姿について
  • 狼の姿(妖怪)

     ザ・正体。
     馬ほどもある黒い毛並みの大狼。瞳は金色、古い傷跡が幾つかあり、光の加減で銀色に光る。
     狼の群れの長だったころから黒い毛並みの大狼だった。狼として生きていた頃はもうちょっと狼らしいサイズだったと思われる。
     本人にとっては一番自然な姿であり、日辻に挑む時は基本的にこの姿。

    人間形態

     でっかいオオカミが正体なら180センチくらいあってもええやろ。あとなんかオオカミ顔ってのがあるらしいじゃないですか?きゅっと上がった目尻に、シャープな輪郭、すっと通った鼻筋……みたいな造形だととっても良いなあと思います。
     と言うか動物のオオカミってイケメンの顔してるから人間になってもイケメンみがあるはずだよきっと。

    最近の姿:
     固い髪質の黒髪短髪でツンツンしてる。服装は無頓着、動きやすければそれで良いの精神。目は暗い茶色、興奮したり感情が高ぶると金色が滲む……みたいなのだとなんか良いですね。オオカミって視線を使って仲間とコミュニケーションしてる可能性もあるらしく、言葉を発する前にじっと相手を見る癖があるかも。
     人間の姿でこだわりはないが、一番何も考えずに人型を取ると若い男になる。200歳なんて妖怪の中では20歳くらいなのかも。
     自力では女の身体になることは不可能ですが、ご都合トラブル等で女体化した際には160センチくらい。

    ぬいぐるみ

     お家にいる時の姿。黒いオオカミのぬいぐるみで、全長30cmくらい。ちょっと日辻より大きい。かわいいね……。触るとちょっと温かい。日辻同様器用に二足歩行する。
     その身に宿る何らかの不思議なパワーを活用することにより、各姿の変化はあまり負担もないよ~くらいのゆるさで考えてます。

    体温

     日辻と逆で体温はぽかぽか。あったかい。オオカミって人間よりも少し体温高いらしいので、ぬいぐるみ状態でも日辻よりあったかい。

values

内面・価値観
  • 性格

     ぶっきらぼう、口が悪い、負けず嫌い、希望を捨てられない。言葉は素直じゃないが行動が正直。
     家主であるニンゲン相手にはまだ遠慮がありそうだけど、日辻相手には皮肉も言うし憎まれ口も叩くし売られた喧嘩は買う。お前いい加減にせえよ……は多分ずっと思っている。日辻の無茶振りにNOを突きつけたら日辻がさらっと「でもこの前の罰ゲームまだだよね」って言うもんだから黙って剣呑な目で日辻を睨みつけた。なんとか絞り出すように「……テメェいつか吠え面かかせてやるからな」って唸る。

     希望を捨てられない生き物。日辻に何回負けても一回良いところまで言った経験から何度でも勝負を挑んでいるし、自分の群れを失くしたあとそこは群れたりえないと心の底ではわかっていながら人里で暮らしてみることを試す。
     あまり物を持とうとしない。持つことを許すと多分捨てられないことを薄々理解している。

    映画好き

     大正~昭和初期に日辻に連れ出されて見に行った無声映画+活動弁士に衝撃を受ける。映画に合わせて朗々と弁士が演説調のナレーションをつけるその声にドはまりした。活弁が徐々に衰退してもスクリーン越しに浴びせられる物語と声と音の魅力は変わらず。今度は役者自身の声やSE・BGMの演出にワクワクして依然として映画館にかよっていた。初めて無声映画を見て以降の100年、人里に下りては映画館の端の隅で映画を見るのがすっかり趣味になってしまった。同居人が契約してる動画配信サービスも勝手に見ている。
     洋画も邦画も何でも見る。洋画は字幕派、役者本人の声が聞きたいので。映画館でやっていて面白そうだったり、映画の前のCMで興味を惹かれたらフットワーク軽く見に行っている。多分インド映画も見ている。昭和の名画座に一日中いたり、アングラな映画館をそうと知らずに行って帰ってきたこともある。長く映画を見ているとオマージュやお話のお約束みたいなものも分かってきてるし、それはそれで面白い。音響が良いと嬉しい。辺りに響く声や音が好き。
     いくら夢を見ても良いと思っているし100年見てたら覚えるだろと思うので、簡単な英語やフランス語、ドイツ語あたりは何言ってるかなんとな~くリスニングできる。道を聞かれたら「まっすぐ、信号で右、つきあたり」くらいは単語を並べられる。

    声と遠吠えと群れ

     声を出すこと、聴くことを本能で求めている。遠吠えが帰ってこなくなった日がトラウマ。
     根底で他者とのコミュニケーションを求めているのは日辻と同じだが、日辻と違って、生まれた時から当然にコミュニケーションを取りながら群れとして生きることに疑問を持っていなかった。オオカミは群れの生き物である。
     山が開拓されて群れを失ってからは、人間に紛れて短期間人里で暮らすこともしていたが長居はできなかった。日辻の「首輪」もとい呪いがある意味(強制的に)大噛に群れの代替となっていることを本人は直視したくない。
     なんやかんや、日辻のせいで強制的に人間との共同生活が始まった結果、じわじわと新たな「群れ」の自覚が出たり……出なかったり……?

History

来歴
  • 人生ならぬ狼生(1810~1840年代)

     1810~20年代にオオカミとして生まれる。群れの中で育ち、すくすくと育った。力の強い個体だったこともあり1840年代には群れのリーダーになっている。

    群れ崩壊(1860~1870年代)

     明治の開発で山が切り拓かれ、群れが弱体化。仲間は老いて死に、若いものは群れを出ていき、遠吠えに返ってくる声が徐々に徐々に無くなっていった。自分と同じころに生まれたオオカミが寿命を迎えて行く反面、自分の体の変化のなさ、むしろただのオオカミとは説明がつかない成長し続ける体格にオオカミではない物に変化している事を悟り、自ら群れを出る。
     遠吠えで群れの存在を時たま感じていたが、ある日を境に遠吠えが返ってくることはなくなった。
     1870年代前半は喪失が生々しくて何も出来ない時期だった。岩場で死んだように目を閉じていたが、体は死んでくれない。

    人里生活チャレンジ(1870年代後半~1880年代)

     人間も群れで暮らしてるし、人間に紛れて暮らすことを試みる。明治の日本は日雇い労働者なども多く、素性不明の若い男がふらっときても怪しまれにくかった。一回あたり数ヶ月~長くてニ年の滞在を合計4,5回ほど。
     回を重ねるごとに滞在期間は短くなった。暮らしていればいるほど、やっぱり自分の群れではないと確信が深まってしまう。1880年代後半には人里に行くことすらやめ、自分がなぜ生きているのかを自問自答する日々を過ごす。結果、「自分は強いから生きているのだ」と理屈もしくは屁理屈を組み立て、自分よりも強い存在を求め、探し始める。
     ずっと一匹であり続けることに耐えられず、楽になりたかった。

    日辻との出会い(1890~1910年頃)

     山の主である化物の噂を聞きつけて挑むが秒殺。地面に叩きつけられ「また来なよ」と言われ、数日後傷が癒えるやいなや再挑戦。また負ける。「またおいでよ」と手を振られる。再挑戦、負ける……というのを繰り返し続けていた。
     化物は話しかけ続けてきたのもあって、次第にオオカミからもつい喧嘩腰の言葉を返してしまった。化物に更に気に入られた。でもマジ勝てない。勝てないが、化物は毎回とどめを刺そうとしないで、お決まりみたいに「また今度ね」と言った。
     勝つために試行錯誤を繰り返し、37回目の勝負で初めて少しだけ深く、化物に爪が届く。傷口から覗く青い触手、未知のものに一瞬恐怖を覚えるものの、恐怖よりも化物に傷を負わせる事ができたその成功体験の方が勝った。
     47回目、コテンパンに叩きのめされた後で化物が笑って言った。「私と一緒にこれからもずっと、遊んでね」と。首輪である。圧倒的な存在の差をもって為される、魂に刻まれた呪いである。オオカミは怪我で上手く動かすことが出来ない身体を何とか起こし、目の前の化物を見上げた。
     化物の顔を見て、オオカミは憎々しげに「わざわざ探しに行く手間が省けた」と憎まれ口を叩いた。現代まで百年続く腐れ縁の始まりである。ついでに名前も付けられた。冗談みたいな、それでも初めて他者に与えられた名前である。

    映画との出会い(大正~昭和)

     日辻に連れ出されて人里に降りることが増えた。
     ある日、日辻に釣れられて無声映画+活動弁士を見に行った。そこで映画と出会い以降のめり込む。
     戦時中は国策映画ばっかりで面白くなかった。それでも今度こそは少しは違う面白いものかもしれないし……と期待を捨てきれずに、頻度は落ちても劇場に通う。この頃は老人に擬態していた。戦況の悪化もあり、若い男が街から消えている中で平日の昼間に若者が映画館にいれば職務質問まったなしである。
     戦後に映画の黄金期が到来し、再び若い男の姿で映画館に通うようになった。

    現代(ぬいぐるみとして人間と同居)

     日辻に呼ばれた。拒否権はない。呼ばれて早々にぬいぐるみの姿を取るように強いられる。
     言いたいことは山ほどあったが、まあいつもの気まぐれだろう……と諦め混じりで飲み込んでぬいぐるみの姿を取った。黒い狼のぬいぐるみ。かわいい。
     家主もとい同居人の、動くぬいぐるみが2匹に増えたところで動じない精神(もしくはそんな事が些細に思えるようなヤバ精神状態)に目を丸くしながらも、居心地の良さにそのまま甘んじている。
     いま、大噛は一匹ではないのだ。経緯はどうであっても。